日本でもだんだんと知名度が上がり、ライフスタイルの一つとして選ばれることも増えてきたヴィーガン。「動物愛護」の考えから、動物性食品を一切とらず、動物製品も使用しないなど、健康志向のベジタリアンとはまた少し異なる考えを持つ人々のことです。
とは言え、日本でもまだまだ深く理解をしている人は少なく、ヴィーガンに対する批判意見は少なからず存在します。ここからは、ヴィーガンに対する反対意見をQ&A方式で紹介しつつ、それに対してヴィーガンではない僕の意見も書いてみようと思います。
それではレッツラドン。
これは反対派によくある意見だと思います。
人間が生活を営んでいれば嫌でも影響を受けて死んでいく動物がいます。動物が人間に利用される部分は生活便宜上どうしても出てくるので、感謝して使わせてもらえばいい、という主張ですね。むしろ、多少人間が殺生しないと生態系が崩れるという意見もあります。また、畜産業が廃れると人間の仕事がなくなり、本来守りたいはずの家畜動物も行き場を失います。さらに、虫や微生物を例に取り、ヴィーガンの食する野菜を生産する過程でも、山や畑にいるたくさんの生物を殺さなくてはいけないという主張もよく取り沙汰されます。虫については、ヴィーガンの間でも意見が分かれるようですが、極力殺生はしないという意見がやはり多いようです。
さて、本題。ヴィーガンでも生活上で動物の死の原因になることはあるのでしょうか。
僕はあると思います。現実的に、動物の生死に一切関わることなく生きていくことは不可能です。日常生活を考えても、車や電車で移動していて鳥や動物を轢くことはあり得ます。直接的に動物由来の食品や製品を買わないとしても、そのような製品を製造する工場自体が自然を開拓して建てられている場合もあるでしょう。飛行機を使うなら、日本の主要空港は海の埋め立てによって建設されたものも多いため、魚や鳥など自然への悪影響はゼロではありません。また、情報を発信するパソコンやタブレットの利用過程でも、ネットや電気などのインフラ整備によって自然が開拓されたりもしています。このように、人間は他の生き物の犠牲の上に立って諸々のサービスを利用していることになります。これら一切の動物への影響を排除して生きようと思えば、文明を捨てて山にこもるしかない気がします。
しかし、この点については反対派が誤解をしている部分もあります。この問題に関して、ヴィーガンの方が動物搾取に徹底的に反対する理由を説明しておきます。
動物は、喜んだり、落ち込んだり、ストレスを抱えたりといった感情が読み取れる生物です。つまり、人間と同じように赤い血が流れ、感情があるので、虐待されたり殺されたりすることは動物にとって恐怖や苦痛でしかない。しかも、その動物の搾取は、人間の選択によって減らしたり撲滅できる。だから選択肢がある以上、人間は不必要な殺生をせず、動物も人間と同じように安らかで安全に生きていけるようにするべきだ、というのがヴィーガンの主張です。
ここでのヴィーガンの論点は、不当に残虐な扱いを受けている動物がいることです。人間が動物を1匹も殺さない世界という極端なものではなく、動物の搾取の根絶を目指して活動してます。つまり、ベストでなくともベターな選択をしていこうという考えです。
なので、例えばウシか人か、どちらか片方しか助けられないなんて状況になって、ウシの方を助ける人はヴィーガンと言えどもいないと思います。言い方は悪いですが、人間が、動物の「命」を人間よりも下に見ているのは事実なんです。この状況でウシの方を助ければ、ただの狂信者にされてしまいますから…。
現実的に考えて、動物を一切殺生しないことは不可能です。ただ、ヴィーガンの方が主張するように、畜産業界やペットの扱いにおいて人間の動物に対する意識には改善の余地があります。その代表とも言える大量効率生産を目的とした「工場畜産」の在り方にも僕は大反対です。僕はヴィーガンではないので「今すぐ絶対菜食を実行しよう」と提案するわけではないです。しかし、現代の大量消費社会の中にあるこういう問題を知り、自分の頭で考えてベターな選択をしていくことが求められていると思います。
ヴィーガンによると見られる肉屋襲撃事件は、実際に2018年8月にパリで起きています。日本でも報道されて注目された記憶があります。
ですが、これはISISのテロのニュースをみてイスラム教全部を批判するのと同じことです。これはヴィーガンの一般的な思想ではなく、あくまで一部の過激派による事件です。なんなら、アンチヴィ―ガン勢力によるやらせの可能性だってあり得ます。平和的なヴィ―ガンの方もたくさんいることを見落としてはいけません。
ただ、個人的な経験を書くと、肉を食べるということでヴィ―ガンの人から高圧的な態度を取られたことはあります。ソーセージを焼いていたらいきなりキッチンのドアを乱暴にバタンと閉められたり、動物の話になると急に目つきが変わるような人もいて、僕は多少ヴィーガンに対して恐怖心がないとは言い切れないこともなくはないこともないかも。
基本的には体にいいことが多い絶対菜食ですが、知識が不十分なまま続けてしまうと、体に必要な栄養素が足りずに病気になることがあります。まあ、肉を食べる人でも偏食の人は一定数いますが。ヴィーガンの栄養失調については、ビタミンB12が不足するということはよく言われます。そして、僕もドイツで実際に病気になったヴィーガンの方を見てきました。
これは土壌にいる微生物が生成するとされる栄養素で、魚や家畜がエサを食べる際に少量の土も一緒に体内に入れることで取り込まれ、その食用肉や乳製品に含まれるようになります。かつては人間も土の付いたような野菜を食べることで直接摂取できた栄養素ですが、現在は土壌が管理され、野菜も水できれいに洗われてから流通するため、これを摂取するには動物性の食べ物が必須というのが定説です。
ヴィーガンも食べられる海苔には含まれていますが、海苔を介した人体へのビタミンB12摂取の有効性は未だ立証できていないようです。現在では、サプリメントや、ビタミンB12を含むカイワレが発売されたり、人工的な強化食品での摂取も可能になっています。
ただし、これを巡ってはいろんな意見があり正確な情報を提示できないのも実情です。長年ビタミンB12の投与をしなくても全く影響の出ていないヴィーガンの方もいます。ビタミンB12の摂取経路や欠乏症などの研究自体も諸説あって明確なことが言えません。
畜産の現場では、土壌質の低下や飼料などの原因から家畜のビタミン欠乏症が起こることもあります。そのため畜産業者はビタミン剤を家畜に投与しており、そこで投与されたビタミンB12を人間が摂取しているだけだ、という主張もあります。はい、個人的にはこの説は信憑性が高いと思っています…。
いずれにせよ、現段階ではヴィ―ガンのビタミンB12の欠乏は多方面から問題視されています。人工的に栄養素を付加された野菜やサプリメントに頼らざるを得ない絶対菜食生活を健康と言えるかどうかは皆さんの判断次第ですが、僕は正直100%の肯定はしません。
僕の考えとしては、「栄養面で人工物に頼らざるをえない=不自然かつ不健康な食生活」です。動物や地球環境の問題を前提にしても、僕がヴィーガンにならない一番の理由はこれです。僕は、人体の求める栄養素を自然摂取できない食生活を送ることは、動物の一環であるヒトをないがしろにすることだと考えています。それに、やっぱりドイツで見たヴィーガンの病気の影響もあります。僕はあくまで実行力に乏しいただの自然尊重派で、口だけ星人なのですが、極力自然由来のものを食生活の中心にしています。サプリやプロテイン、栄養剤などは一切利用したことがありません。
ヴィーガンの方は動物愛護の観点から絶対菜食を実践している場合が多いので、もしかすると自然な健康が全ての目的ではないのかもしれませんが、栄養失調や体調不良には常に気を付けてほしいと思います。普通は体内に蓄積されているビタミンB12ですが、絶対菜食になって不足し始め、欠乏症の発症に3~5年かかると言われています。新たにヴィーガンになる場合、すぐには人体への影響が分からない点も要注意です。
植物性のものだけを食べることは非常に自然の理にかなったことのように思えますが、そこに人工物を介入する必要があるというのは、見つめていかなければいけない問題だと思います。
これに悩む方は多い印象です。特に周りに同じような食生活の人がいないと、肩身の狭い思いをすることは多いです。
外食も問題です。日本ではまだ認知が浅く、ヴィーガン用のメニューがしっかり準備されているレストランやカフェというのは非常に珍しいです。ただ、ヴィーガン先進国とされるドイツに住んでいたときには、レストランにヴィーガンメニューが置いてあることも多かったので、いずれ日本でも対応するお店は増えてくると思います。
人付き合いに影響が出るかどうかは、正直食生活が原因ではなくて個人個人の対人スキルの問題だと思うので、ヴィーガンになった方でも既存の友好関係を苦にしてない方もたくさんいると思います。
僕はこれまで一緒に肉は食べれないような厳しいヴィーガンの知り合いが多かったのですが、お互いを否定したり強制させたりしなければ特に何の問題も起こらないと思っています。
ヴィーガンやベジタリアンの人口を調べていると、インドやイスラエル、台湾など宗教が食生活に影響を与えている国と、イタリア、イギリス、ドイツなどの欧米諸国が割合多くの菜食主義者を擁していることが分かります。
確かにどこもいわゆる先進国と言われる国ばかり。発展途上国におけるヴィーガン人口の情報は僕の方では見つけられませんでした。おそらく健康意識的もしくは宗教上の理由以外でヴィ―ガンになっている人は、いたとしてもごく少数だと思います。今日でも地球上で8億人は飢えに苦しんでいるという現状であり、そんな中で食事の選択なんてできるはずがありません。
ヴィーガンは所詮食べ物に困らない裕福な人がやってる道楽だ、という声もあるようですが、僕はこの活動は先進国でしか発達しないし、むしろ先進国に住む比較的裕福な人間が向き合うべき問題だと思います。
理由は単純で、動物性食品を大量生産して大量消費、大量廃棄しているのは先進国だからです。先進国のビジネスが工場畜産を生み、大量の資源を費やして食品を、お金を生み出しているんです。自分たちの起こした問題の改善に自分たちが取り組むのは当たり前です。これを理由にヴィーガンを批判するのは、現実逃避と論点すり替えでしかないでしょう。
動物を搾取しないというヴィーガンの主張に則れば、植物も生き物である以上搾取してはいけないという解釈になるのではという反対意見です。
実際、赤い血が流れていないし鳴かないというだけで、植物にも実は感情のようなものがあって痛みを感じることができるという研究結果もあるにはあるようです。花を優しい声をかけて育てたら、罵詈雑言で育てた時よりもきれいに咲く、というような話もちょくちょく耳にしますよね。
こういった事象は科学的に明確には立証されてないため、客観的に見ればかなり無理をした反対意見だと思います。僕自身も、例えば雑草をむしり取るのと、野良猫を殺すことは倫理的に全く異なることだと思っています。
さらに、ヴィーガンの基本理念は「動物の搾取を減らす/なくす」というものです。もともと植物保護に対して生まれた運動ではありません。それに、同じ量の肉と野菜を食べるなら、野菜を食べる方が地球への負担が少ないということは学術的に証明されています。つまり、動物と植物を天秤にかけた結果の、ベターな選択というわけです。もしこのヴィーガンの活動の先に環境問題が改善されれば、それはもちろん植物にとってもいいことでしょう。
これについて僕の意見を明確にするのは簡単ではありませんでした。どうしても感情論になってしまうからです。これに関しては、理論立てて説明できないことを断った上で言うならば、僕はできれば植物と動物の命を区別したくはありません。どちらかを殺すなら、と問われれば植物を選ぶので僕も植物の命を軽く見ているのかもしれませんが。
これは農業に携わってきたからこそ言えることかもしれませんが、植物は動物と等しく生命力があります。土に根を張り、呼吸して生きています。畑や田んぼで散々力強く生きている植物を見てきた以上、植物の生命力が動物に劣るとはどうしても思えないのです。動物も植物も同じように生きている。だからこそ肉も野菜も感謝をして頂いていこうと思う今日この頃です。
おわりに
ヴィーガンとその反対派の対立は未だに続いています。非難し合うことが多い印象ですが、人間にはそれぞれの背景があり、環境があって自分の思想を形成しています。
ヴィーガンの持つ危機感は本当に重要で、今よりも優れた消費社会の形は間違いなく存在しますし、それを求めていくことに僕も意義を感じます。
ただし、その思想も偏りすぎると不都合なことがあると思います。反対派の意見もありつつ、両方が正しい情報を選択して判断を下し、よりより消費システムが構築されていくことを願うばかりです。僕も日々努力していきます。
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